グロブ

気合い

鰈な伊丹

左手の人差し指に鮮烈な衝撃が走った。

 

私用を済ませるために外出し、歩道をスタスタと歩いていたところ、背後から迫る自転車の圧に押されて身体を植え込みの方、つまり左側に寄せた。

 

刹那、左手の人差し指に鮮烈な衝撃が走ったのだ。

 

私は人生において一度も「左手の人差し指に鮮烈な衝撃が走る」という経験をしたことがないので、結構な声量で「えっ?」と叫んでしまい、交通整備をしていた翁に怪しがられ、距離を取られ凝視された。

 

「痛みを感じる」という感情は「今まで平穏だったものが突如として崩壊し、以前の安寧を取り戻すことは出来ない」という絶望を突き付けてくるようで私は苦手だ。しかし、「何としてでもこの痛みを負わせた張本人を突き止めたい」という怖いもの見たさに近い、ある種の好奇心が湧いてくるのも事実だ。

 

私は記憶を辿る。

 

歩道を歩いていた。自転車を避けた。植え込みへ近づいた。目の前を何かが高速で横切った。左手に痛みが走った。

 

私はすぐにピンと来た。これは虫だ。この痛みは虫の打撃だ。虫は人間と違って外骨格であるから表皮が硬い。そんな虫が人間の全力疾走にも匹敵する速度で飛翔したのだ。それは最早殺戮兵器と言っても過言ではないだろう。私は迷宮入りさせることなく、ディナーの前に謎解きが出来たという小さな高揚感に駆られた。その一方で、また新たな懸念が生じていることに気付いた。

 

それは、痛みが「打撃」というよりは「突き」、もしくは「刺し」に近いダメージであるという点である。

 

虫による犯行かつ「刺し」となれば答えは一つだ。蜂の可能性が高い。彼らの特徴である2色のボーダーは警告を意味する配色として人間社会では用いられている。言わば人類公認のヤバい虫なのだ。しかし幸か不幸か、視認できたのは「高速で飛翔する虫らしきもの」に過ぎず、それが蜂であるという証拠は全くない。もしかしたら全然グリーンのカナブンとかそういう系の虫の可能性だってある。というよりはそうであって欲しい。眼前に「猛毒」、「絶命」といった文字がチラつき始めた。それでも私の両足は歩行を続けた。

 

なんか手が痺れてきた。「毒があるタイプの虫だったら、手とかだんだん痺れてくるかもな」とか考えてたらバカのプラシーボ効果が発動し始めたようだ。小学校の時に読んだ本では、「蜂に刺された時には患部より心臓に近い部分を強く圧迫しろ」と書いていたのを思い出す。今、私のリュックサックには腕を縛るのにちょうど良いスポーツタオルが入っている。やるなら今だ。

 

心のどこかでは死ぬんじゃねぇかなと思いつつ、いや、死にゃせんだろという考えで歩き続ける。

 

だんだん「手が痺れる」という感覚はなくなっていった。すると今度は「遅効性の毒だったら1回ぬか喜びさせてきて、その後に仕留めに来る」という悪魔的な思考に乗っ取られてしまった。これから起こる未来が簡単に予測できた。

 

結局毒でもなんでもねえじゃん。ゲームしよ。トイレ行こ。バタッ

 

これは自分ながらになかなか可哀想に思える。

 

とりあえず手を洗いたい。応急処置になるかどうかも分からんけど、手洗いたい。なんか傷口から汚れとか入って、毒とマリアージュされたらもう終わりだし、そうでなくてもジャニーズの皆さんが手を洗え手を洗えと歌い踊っていたので、何かしらの効果はある気がした。

 

ちょうどコンビニがあったので立ち寄る。向かう先はもちろんトイレだ。厳密に言うと女性用トイレと男性(女性)用トイレのそれぞれ向かい合う扉の間に設置された空間へ、だ。手を入念に洗っているとなんだか心が安らぎ、自分自身がエル・カンターレであると自覚した。

 

様々な偉人の言葉を聞き、自身の体に宿しながら出口へ向かう。入店した時には気づかなかったが入口には消毒液が置かれていた。

 

めっちゃ使った。