グロブ

気合い

最近の思考

アメリカのニンゲン観察バラエティ()で、人種、宗教、障害、年齢、性差、性自認等に対する差別を公共施設(殆どがカフェやレストラン、スーパーマーケット等の仕掛け人を配置しやすく企画の周知に手間がかからないであろう空間)で実際にデモンストレーションし、居合わせた人々がどのような行動をとるのかを切り取った番組がある。(WWYD?で検索すればヒットするし、大抵の人はTwitterで切り抜きを目にしたことがあるはず。)

 

時には、仕掛け人の振る舞いに同調する、古い考えに固執してしまっている老人(みんなが大好きな言葉で言えば老害)だったり、過激な思想を持ち実際に行使しようとする保守派(みんなが大好きな言葉で言えばミギノツバサ)だったりも登場するが、番組で取り上げられる多くの気高き志の人々は、たとえどんな州であろうとここは自由の国アメリカであるということや、キリストの教え、実体験に基づく共済の精神の下に正しい行いをする。

 

現在日本で若者を中心に流行っている思想に感動ポルノの否定がある。確かにこの番組もみんなが大好きな24時間テレビの構造を見出すことは可能であるが、妙に生き易い日本とは異なり、様々な差別思想がリアルに息を潜めるアメリカの本質と国民性の乖離、及び理想の実現の困難さを主題にした番組であるので、単に表面だけを見て、「感動ポルノぢゃん笑。そうかそうかつまり君はそんな奴なんだな。笑笑」と息巻く馬鹿は本当に「少年の日の思い出」を取り返しに行ったほうが良い。

 

私は考えてしまう。もし自分が差別を目の当たりにしたら、果たして私は勇気を持って差別を止められるだろうか。助けを求める人々を見過ごすことはないだろうか。私は簡単に結論を導き出せた。

 

行動する。

 

しかし、この結論は全く褒められたことではない。今の私の感情のままに妄想した空間での私の行動は、悲劇の再現ドラマを見てドナーカードに思いを馳せる夜、ジェットコースターの待機列での空元気と何ら違わない。

 

番組の最期には進行役である男性が現場に突入して事態を説明し、行動を起こしたヒーロー(英語話者と私とで感じ取る意味の違いは分からないが実際にHero/Heroineと呼んでいる)にインタビューを行う。昂ぶった感情を抑えきれず妙にテンションが上がる者、胸をなでおろし涙を浮かべる者、冷静に謙遜を交えながら己の信念を訴える者等の胸を打つ言葉、進行役の気の利いた言い回しで番組は締められる。

 

残念ながら、私はもう純真無垢ではないし利害や損得の勘定も出来る。大した志もなければ優しさもない。自分の行動には何かしらの意図があって、それが完全な善意であると言い切れない。悲しいが差別を鼻で笑うことも、溢れる感情に涙することも出来ない。完全な善人になれる自信がない。

 

あーもう鬱~。やんなる~。