グロブ

気合い

音楽について書きてぇんだなこれが

先日、YouTubeで音楽関連の動画を扱っているチャンネルの配信に潜った。そのチャンネルは学術的な音楽理論や実用的な音楽知識を手広く程よい深度で紹介しており、以前からチャンネル登録をして動画を閲覧していたものであった。偶然スマホ片手に作業をしていたときに音楽系の話メインの雑談枠と題された配信の通知が来たことも味方して何気なしに参加した。お世辞にも人気とは言えない規模のチャンネルなので配信中は基本的に一桁しか視聴者はおらず、数分おきに一人減っては一人増え、と所謂過疎状態だった。そこで謎の使命感に駆られた私を含む3人の熱心な信奉者が入れ代わり立ち代わり話題を提供し続け、誰がどれだけ沈黙を消せるかゲームが始まったのだがその最中に配信者が興味深いテーマで雑談を初めた。

 

音楽とそれを取り巻く環境の変化

 

配信者はクラシック畑の人間で周囲にはイヤホンやヘッドホンの使用を禁じられていた友人が数人居たという。この話題は私自身も以前より偶にネット記事やTwitter等で目にしたことのある内容だったので、ある程度親しみやすかった。その多くは聴力の保護が主目的で…と脳内でストーリーを構築していたところ、配信者が口を開いた。

 

過去の音楽は「劇場やホールのステージからの音を観客席にいる人々が聞く」というスタンスが当たり前で、だからこそオーケストラの配置や音響にまつわる学問の文脈が成立しており、クラシックを学ぶ者にはその原点至上主義的な考えも根付いているからこそのものだと思う、という旨の発言だった。確かに、現在でもスピーカーから出る音を想定したり、二対のスピーカーからの聞き手の角度を計算したりするといった考えは揺るぎようもなく存在している。配信者はその後、現在の音楽について話を続けた。

 

現在の音楽は室内のスピーカーもとい両耳に挿入されたイヤホンから出る音について照準を合わせたものが主流となっており、ここ30年で音楽が決定的に変化した、と言う。これに関しては以降、携帯型ミュージックプレイヤー、DTM人口の拡大、動画共有サイトの台頭、ボーカロイド、と話を展開させていた。つまり音楽は広大な空間を伝わる演奏者の演目ではなく、両耳のごく近傍で小さな音楽隊が奏でるものへと変化したという主張であった。

 

この話を聞いてからというもの、ライブなどを想定していない、しがない弱小DTMerが制作する音楽に本当に必要な処理とは一体何なのかという考えが思考の片隅を占拠している。

 

私は1つの考えに至った。日本国内で約6割のシェアを誇る(2020年)iPhone、そして本体に付属するApple純正イヤホン、その音質は3000円にしてはかなりの高水準で、オーディオマニアでなければさして違いの感じられない程の十分すぎるクォリティであることは一般常識として差し支えないだろう。さらにイキリオタク(ごめんね、唐突に刺さっちゃうかも)にありがちな、「ウン万円のイヤホン低音ゴリゴリで気持ちェー。あ、この東方アレンジよさみが深くて草。mp3でクリップボックスに入れるンゴ。野獣先輩wwwwwwwwwwwwwwwwwwww」みたいな輩がいると考えると、これから先の音楽に求められる姿は、「mp3をApple純正イヤホン(流石に100均イヤホンはやりすぎでしょ)で聞いたときでも遜色なく映える楽曲」へと変化するのかもしれない。