グロブ

気合い

俺のルーツにゃガラガラヘビ

あちきは齢6つにしてスポーツを始めた。あくまでも全世界に向けてなんの制限もなく発信するという体をとっているブログであるため何の競技であるかをオオッピロゲに書きたくは無いのだが、純粋に以下の文章構成の作業が極端にダルくなり、婉曲を駆使して書いたとて歴史の本文を世に送り出してしまうことになるのでプライバシー保護の観点を"完全に"無視することにする。

 

あちき(現・遊郭"吉原"最強の花魁)はフェンシングなる西洋の剣術を始めた。皆の記憶にも新しいことであろう、太田雄貴北京オリンピックで銀メダルを獲得した年のことだ。あちき自身も自分が競技を始めたきっかけはこれであるとばかり思い込んでおったが、よく思い返せば5月の段階でフェンシング教室へ通っていたでありんした。これは"大いなる意志"によって引き起こされた記憶のうねりであると解釈して話を進める。あと、今モンスターを飲みながら歩きスマホで綴っているでありんすが、効率悪いし手ぇキンキンに冷えるし今事故ったら10:0で俺が悪いし、一体なんなんでやんしょね笑。ははは笑。

 

さて、話を戻すでありんす。あちきは精神がまだ成熟しきっていない幼子のころからどっぷり9年間もの期間(高校3年間も含めて12年間とするファンもいるが、それは正史には含まれないとする意見が多い。筆者個人の見解も高校3年間は殊にフェンシングにおいては顧問及び副顧問と決定的に反りが合わないことを原因としたドブ漬けの日々であったのではないかと推測している。)フェンシングを続けた。

 

予め注意しておくがあちきはフェンシングが上手いわけでも、好きなわけでもない。しかしこんなにも長く競技を続けてきたのは間違いなく恩師の存在があったからだろう。私の恩師(以下Aとする。)は私にとってある種の宗教に近い。Aを崇拝の対象とする新興宗教があれば間違いなく私は私自身がエル・カンターレであると悟ろう。私はAに恩義があり、私が心底Aを敬愛しているのは必然でもある。

 

私は母子家庭だ。(大丈夫、いきなり話は重くならねぇだろうよい。)しかし幸いにも祖父が築き上げたキャリアとそれに見合うだけの財産が存在し、特別裕福なわけでも、特別困窮しているわけでもない生活を送り、毎年夏に開催される東京での全国大会への私1人分の遠征費をなんとか工面してきた。Aはそんな私の遠征を、宿泊するホテル、公共交通機関の切符の手配、その他すべてのセッティングを含めて9年間ずっと引率してくれていた。時には他の生徒も合わせて4~5人で行動することもあったが、8割以上、私とAとの2人旅だった。Aの車で移動中に私が寝てしまうと平井堅の「瞳を閉じて」をカーオーディオで流し始めたり、ホテルで二人部屋だったときにわざと際どい深夜ラジオを流し始めたり、海外選手とそのコーチにドヤ顔で話に行って英語が通じずに恥をかいていたり、その行きの飛行機でスピードラーニングを聞かせてきたり、時間にすれば圧倒的に競技を交えた時間の方が長いものの、それ以上に濃い時間を共に過ごしてきた。そして私にとって全国大会で結果を残すことより、Aと共に過ごしAの人格を辿ることの方が大きな意味を持つようになっていった。

 

実際、現在の私の性格はAの性格の大部分をコピーしている。(あとは中学の時に知り合った飄々とした奴の振る舞いも少し真似してる。)小学校時代の私はAから教わったある心持ちを大事にしていた。

 

「騎士道精神」。今でもこの言葉をいざ口にすると気が引き締まる。確か小学4年生の行事でこの言葉を筆で細長い半紙に書いた記憶がある。担任から四字熟語が推奨される中、5文字を選んだ私はかなり不格好な作品を提出することになったのだが、Aの教えを形にしたぞ、とかなり誇らしげな気分だったことを覚えている。

 

2020年夏。私はワンピースに傾倒していた。人生で初めてワンピースを読んだ同年春から一切熱が冷めず、毎日5話から6話単位で公式アプリを貪りエピソードを読み進め、エニエス・ロビー編。CP9の紅一点、アワアワの実の能力者カリファとサンジの戦闘シーン。サンジは女に手を上げないという己の「騎士道精神」を貫き敗北を喫した。

 

え?待て待て。俺の教わった「騎士道精神」に女がどうのこうのとか無かったぞ。あれ?いやそりゃサンジはカッコいいいよ。でも待って。待って。もしかして……。

 

小学4年生の時の俺、周りの友人とか大人に、「あらぁ笑。この子はサンジに憧れてるのねぇ。まぁ気持ちは分かるわ。だってサンジって自分をクール系だと思ってる一番痛い小学生男子(未来のチー牛陰キャ)が憧れがちなキャラだもんね笑笑。あぁ痛い痛い笑笑。やめちくり~笑。」って思われてたってこと?

 

最低最悪なんですけど。