グロブ

気合い

自己紹介

 

中2の4月、恰幅の良い数学教師が新年度だからといって自己紹介をしすぎてもという理由から昨年度に自身が担当していた生徒を指名し、生徒の口から数学教師について紹介をさせる他己紹介の体をとった。私は当時「タコショウカイ」という言葉に馴染みがなく、頭には八本脚のデビルフィッシュが浮かんだ。数学教師は小学8年生の考えを見透かすように、「タコ紹介といってもね。ミズダコとかそういう蛸じゃなくて。自分が己をじゃなくて他人が己を。」と付け加えた。直前までの蛸のイメージが浮かんでいた自分の滑稽さに加え、「ミズダコ」という固有名詞のちょうど良さも愉快であった。数学教師の紹介を任された生徒は剽軽な優男で、新クラス編成になって間もないことも相まって彼が口を開けば誰もが笑うことが確約されていた。彼のある種の使い勝手の良さは教師間でも共通認識だったようで国語、理科、社会、英語と絶えず彼の名前が飛び交っていた。彼とは良好な交友関係を築いていたものの、特別親友というわけでもなかったので高校進学を機に接触自体無くなってしまった。中学の同級生の中には当時の親友たちとフィッシャーズみたいな関係を続けている者もいるとの噂は聞いているが、幸いにも未だに私と関係を持っていてくれる数人を除くと私は多くの友人の近況を知らない。高校を中退した、親族が亡くなった、子を身籠った、駅チカの商店街のソフトクリームを額に押し付け地面に落とし「もったいない」とTiktokで大炎上した、そんな断片的な情報は耳に入ってくるものの、中学の時に感じていた「どこかで繋がっている」という感覚は消失してしまった。思い返してみれば、ただ近くに存在していたというだけで特に友達や仲間というわけではなかったのかもしれない。中学卒業のときに思い描いていた成人式や同窓会が訪れないことも少しずつ予感し始めている。他己紹介されると盲信していた自分に区切りをつけ、自己紹介する決意を固めなければならない。この過程こそが成長だと胸を張る者もいるだろうが、私はどうしても寂しさを感じてしまう。

 


FEEL SO BAD - バリバリ最強No.1[OFFICIAL MUSIC VIDEO]

 

バ!リ!バ!リ!さ!い!きょ!ぉ!

ナ!ン!バ!ァ!ワーン!!

俺のルーツにゃガラガラヘビ

あちきは齢6つにしてスポーツを始めた。あくまでも全世界に向けてなんの制限もなく発信するという体をとっているブログであるため何の競技であるかをオオッピロゲに書きたくは無いのだが、純粋に以下の文章構成の作業が極端にダルくなり、婉曲を駆使して書いたとて歴史の本文を世に送り出してしまうことになるのでプライバシー保護の観点を"完全に"無視することにする。

 

あちき(現・遊郭"吉原"最強の花魁)はフェンシングなる西洋の剣術を始めた。皆の記憶にも新しいことであろう、太田雄貴北京オリンピックで銀メダルを獲得した年のことだ。あちき自身も自分が競技を始めたきっかけはこれであるとばかり思い込んでおったが、よく思い返せば5月の段階でフェンシング教室へ通っていたでありんした。これは"大いなる意志"によって引き起こされた記憶のうねりであると解釈して話を進める。あと、今モンスターを飲みながら歩きスマホで綴っているでありんすが、効率悪いし手ぇキンキンに冷えるし今事故ったら10:0で俺が悪いし、一体なんなんでやんしょね笑。ははは笑。

 

さて、話を戻すでありんす。あちきは精神がまだ成熟しきっていない幼子のころからどっぷり9年間もの期間(高校3年間も含めて12年間とするファンもいるが、それは正史には含まれないとする意見が多い。筆者個人の見解も高校3年間は殊にフェンシングにおいては顧問及び副顧問と決定的に反りが合わないことを原因としたドブ漬けの日々であったのではないかと推測している。)フェンシングを続けた。

 

予め注意しておくがあちきはフェンシングが上手いわけでも、好きなわけでもない。しかしこんなにも長く競技を続けてきたのは間違いなく恩師の存在があったからだろう。私の恩師(以下Aとする。)は私にとってある種の宗教に近い。Aを崇拝の対象とする新興宗教があれば間違いなく私は私自身がエル・カンターレであると悟ろう。私はAに恩義があり、私が心底Aを敬愛しているのは必然でもある。

 

私は母子家庭だ。(大丈夫、いきなり話は重くならねぇだろうよい。)しかし幸いにも祖父が築き上げたキャリアとそれに見合うだけの財産が存在し、特別裕福なわけでも、特別困窮しているわけでもない生活を送り、毎年夏に開催される東京での全国大会への私1人分の遠征費をなんとか工面してきた。Aはそんな私の遠征を、宿泊するホテル、公共交通機関の切符の手配、その他すべてのセッティングを含めて9年間ずっと引率してくれていた。時には他の生徒も合わせて4~5人で行動することもあったが、8割以上、私とAとの2人旅だった。Aの車で移動中に私が寝てしまうと平井堅の「瞳を閉じて」をカーオーディオで流し始めたり、ホテルで二人部屋だったときにわざと際どい深夜ラジオを流し始めたり、海外選手とそのコーチにドヤ顔で話に行って英語が通じずに恥をかいていたり、その行きの飛行機でスピードラーニングを聞かせてきたり、時間にすれば圧倒的に競技を交えた時間の方が長いものの、それ以上に濃い時間を共に過ごしてきた。そして私にとって全国大会で結果を残すことより、Aと共に過ごしAの人格を辿ることの方が大きな意味を持つようになっていった。

 

実際、現在の私の性格はAの性格の大部分をコピーしている。(あとは中学の時に知り合った飄々とした奴の振る舞いも少し真似してる。)小学校時代の私はAから教わったある心持ちを大事にしていた。

 

「騎士道精神」。今でもこの言葉をいざ口にすると気が引き締まる。確か小学4年生の行事でこの言葉を筆で細長い半紙に書いた記憶がある。担任から四字熟語が推奨される中、5文字を選んだ私はかなり不格好な作品を提出することになったのだが、Aの教えを形にしたぞ、とかなり誇らしげな気分だったことを覚えている。

 

2020年夏。私はワンピースに傾倒していた。人生で初めてワンピースを読んだ同年春から一切熱が冷めず、毎日5話から6話単位で公式アプリを貪りエピソードを読み進め、エニエス・ロビー編。CP9の紅一点、アワアワの実の能力者カリファとサンジの戦闘シーン。サンジは女に手を上げないという己の「騎士道精神」を貫き敗北を喫した。

 

え?待て待て。俺の教わった「騎士道精神」に女がどうのこうのとか無かったぞ。あれ?いやそりゃサンジはカッコいいいよ。でも待って。待って。もしかして……。

 

小学4年生の時の俺、周りの友人とか大人に、「あらぁ笑。この子はサンジに憧れてるのねぇ。まぁ気持ちは分かるわ。だってサンジって自分をクール系だと思ってる一番痛い小学生男子(未来のチー牛陰キャ)が憧れがちなキャラだもんね笑笑。あぁ痛い痛い笑笑。やめちくり~笑。」って思われてたってこと?

 

最低最悪なんですけど。

最近の思考

アメリカのニンゲン観察バラエティ()で、人種、宗教、障害、年齢、性差、性自認等に対する差別を公共施設(殆どがカフェやレストラン、スーパーマーケット等の仕掛け人を配置しやすく企画の周知に手間がかからないであろう空間)で実際にデモンストレーションし、居合わせた人々がどのような行動をとるのかを切り取った番組がある。(WWYD?で検索すればヒットするし、大抵の人はTwitterで切り抜きを目にしたことがあるはず。)

 

時には、仕掛け人の振る舞いに同調する、古い考えに固執してしまっている老人(みんなが大好きな言葉で言えば老害)だったり、過激な思想を持ち実際に行使しようとする保守派(みんなが大好きな言葉で言えばミギノツバサ)だったりも登場するが、番組で取り上げられる多くの気高き志の人々は、たとえどんな州であろうとここは自由の国アメリカであるということや、キリストの教え、実体験に基づく共済の精神の下に正しい行いをする。

 

現在日本で若者を中心に流行っている思想に感動ポルノの否定がある。確かにこの番組もみんなが大好きな24時間テレビの構造を見出すことは可能であるが、妙に生き易い日本とは異なり、様々な差別思想がリアルに息を潜めるアメリカの本質と国民性の乖離、及び理想の実現の困難さを主題にした番組であるので、単に表面だけを見て、「感動ポルノぢゃん笑。そうかそうかつまり君はそんな奴なんだな。笑笑」と息巻く馬鹿は本当に「少年の日の思い出」を取り返しに行ったほうが良い。

 

私は考えてしまう。もし自分が差別を目の当たりにしたら、果たして私は勇気を持って差別を止められるだろうか。助けを求める人々を見過ごすことはないだろうか。私は簡単に結論を導き出せた。

 

行動する。

 

しかし、この結論は全く褒められたことではない。今の私の感情のままに妄想した空間での私の行動は、悲劇の再現ドラマを見てドナーカードに思いを馳せる夜、ジェットコースターの待機列での空元気と何ら違わない。

 

番組の最期には進行役である男性が現場に突入して事態を説明し、行動を起こしたヒーロー(英語話者と私とで感じ取る意味の違いは分からないが実際にHero/Heroineと呼んでいる)にインタビューを行う。昂ぶった感情を抑えきれず妙にテンションが上がる者、胸をなでおろし涙を浮かべる者、冷静に謙遜を交えながら己の信念を訴える者等の胸を打つ言葉、進行役の気の利いた言い回しで番組は締められる。

 

残念ながら、私はもう純真無垢ではないし利害や損得の勘定も出来る。大した志もなければ優しさもない。自分の行動には何かしらの意図があって、それが完全な善意であると言い切れない。悲しいが差別を鼻で笑うことも、溢れる感情に涙することも出来ない。完全な善人になれる自信がない。

 

あーもう鬱~。やんなる~。

箇条書きング

免許センターで思ったことの箇条(過剰)書き

 

始めて来る場所すぎる。外観がいい感じに荘厳かつ十年前の尺度での近未来の具現といった、The自治体が管理する建設物感があって良かった。受付のカウンターはこのご時世アクリル板やビニールの暖簾(伝われ)で仕切られてはいたものの、東京の駅の一角をそのまま奪ってきて設置したような見た目で洒落ていた。いたるところに公安委員会や県警のポスターが貼られていた。県出身の漫画家の代表作とコラボした啓発ポスターがあり、ちょうど流行したあたりに制作されたものだろうと容易に予想できた。一際に目を引く位置に県出身アイドルが警官の制服を着用してこちらを指差しているポスターがあった。それは10年前に遡るかというほどに古ぼけた雰囲気で、彼女の存在が芸能界に広く知れ渡るより前のものであろう、ポーズを取る彼女にはどこか洗練されきっていない印象を受けた。当然県内には複数の教習所があるわけで、その数だけ引率が行われていた。某自動車学校の引率者は清潔感あふれる服装でにこやかに先導していたが、ケミカルに真っ白なYシャツ、透けたノースリーブのランニング(多分綿製)、テッカテカにワックスの塗りたくられた髪は胡散臭さを放っていた。これは修学旅行先で出会う全然関係ない学校の教師が放つ異彩に近いなと感じた。外に目をやると、到着時には気づかなかった建物に気づいた。道路を挟んで向かいにあるプレハブの安い小屋、「学科対策塾」と書かれていた。商売の嫌なところの凝縮だなと思った。強豪校のOBみたいな感じで2階から1階を見下ろしていた職員と思しき男性がマスク+フェイスシールドの完全防備だった。意味あんのかよと思って嘲ったが、そのスタイルが医学的にもめちゃめちゃ正しいスタイルだとしたら恥をかくのは自分なので、ふん、おもしれーおっさん。程度に留めた。試験が終わり便意を催す。トイレに入ると便器がすっげぇ汚れていた。サボったリングと呼ばれる、便器の水の境界部分が輪染みになってるやつの限界突破悪魔3凸だった。トイレ内の張り紙にはトイレットペーパー以外は流さないでくださいと書かれていたので、うんこを転送して外に出すという小1の妄想をした。別の張り紙には、井戸水を使用しています。便器が汚れることがありますが、衛生上問題はありません。と書かれていた。こりゃ一本取られましたな。合格発表までの待ち時間で自分の3つ後ろの男が弱音を吐きまくっていた。どうやら2度目の受験らしく、今回落ちるとやべぇらしかった。合格発表は1階のモニターに受験番号が表示される仕組みになっており、結構遠くからでも判別ができた。自分の番号を見つけたあとその3つ下を見ると番号は表示されておらず、つまりあの男は失敗したんだなと思っていたところ、その男が「奇跡起きんやったぁ。」と嘆いており、そうか奇跡は起きなかったのか、と思った。その後、免許交付の際に協会費なるお布施を払うか払わないかの決断を迫られ、断ったところ受付の美人なお姉さん(40代くらい、でも本当に美人)に蔑みに近い視線を送られた。ピッポコピーのペンペン。

蠰 蝉

地元に還った。このご時世、不要不急の外出は避けるべきだという世間一般の風潮に流され、私はこの4ヶ月程を僅か2m四方程の空間で消費した。とは言っても人間は食肉を啜り、人畜無害な植物を刈り取って腹に収めなければ生きていけない。現に私は餓死せず、ビブルカードを2mm程残す形で生き延びているので最低限の外出はしていたということだ。(狩猟及び採集)

 

そんな私が避けていた不要不急の外出とは何か。端的に言うと散髪である。元来、ファッションに気を配らないタチの私には、わざわざ髪を散らすことに何故金を払わなければならないのかが到底理解できない。そもそも髪というものは脇役でしかない。主役を張るのは顔面で、その装飾に過ぎない。Twitterでたまに見かける、「なんかチャラい美容師(中尾明慶みてえな顔の奴ら)がハサミをカメラにぶつけ、次のカットで冴えない男がナウでヤングなチョベリグ兄ちゃんになる動画」が発信する、「似合う髪でカッコイイは作れる」というメッセージは虚構に過ぎない。それは「顔面に対応する髪型にはある程度セオリー(限界値)があり、あとは顔面のポテンシャル次第」の言い換えに他ならないからだ。従って私は散髪ないし不要不急の髪散らし行為を行わなかった。(証明終)

 

しかし、黙認できる限度を超えた毛量(魍魎)は時として所有者の生命を削る。多くの野生動物が季節に合わせて毛量を調整する中、他の種を凌駕し世界を掌握したヒトである私が髪を伸ばして死に近づくことは自然の摂理に反するのではないか、もしそれを認めてしまおうものなら、火星ではゴキブリが異常な進化を遂げてしまうし、ウォールマリアは破壊され、くいなは階段に殺されてしまうだろう。そうした恐怖に支配され、美容室に伝書鳩を飛ばした。

 

予約をした美容室は私が小学生の頃から通う、アメリカの肉屋のステレオタイプみたいなおじさんが1人で切り盛りしている店だ。私は会話が苦手なタイプのチー牛ではないのだが、肉屋での会話の作法は心得ていないチー牛であるため毎度適当にやってくれと頼むようにしている。この肉屋はある程度、私のヘアスタイル像が固まっているらしく、いつも同様の手順で仕事を終わらせようとする。その手順を大まかに紹介すると、先ず髪を濡らし、サイドを刈り上げて、頂点とその周辺を揉みしだくといった具合だ。

 

毎度サイドを刈り上げたタイミングで目の前にイカれたリヴァイが映し出され驚くが、今回は少し違った。今までないくらいに髪が伸びていたためいつもと雰囲気が異なり、イカれたリヴァイではなくクソ汚ぇ鬱のフワちゃん(以下、汚フワ(オフワ)と表記する。)が現れた。突如現れた汚フワに驚いた俺は絶望を覚え、役所で姓名を汚・フワに変えるべきかどうか一応考えた。毛量の50%程を失い半ハゲ汚フワになった段階で顔面剃毛の呼吸壱ノ型へと移った。

 

眉を剃るかという問いかけに、「あぁ…っぃす。」と応えたところ、剃ることになった。眉を剃られるのは初の経験であったため、拡大解釈すれば肉屋に筆おろしをされたと言っても過言ではない。眉を剃られている間、呂布カルマみたいな眉になるんじゃねえかなという恐怖から、頭の中はボソボソ歌いながら夜の繁華街を柄シャツで闊歩する呂布カルマで埋め尽くされた。

 

その後、洗髪を終え3300円を一瞬で消すマジックをした。店を出て、道端に落ちていた蝉の死骸で口を濯いで帰った。

鰈な伊丹

左手の人差し指に鮮烈な衝撃が走った。

 

私用を済ませるために外出し、歩道をスタスタと歩いていたところ、背後から迫る自転車の圧に押されて身体を植え込みの方、つまり左側に寄せた。

 

刹那、左手の人差し指に鮮烈な衝撃が走ったのだ。

 

私は人生において一度も「左手の人差し指に鮮烈な衝撃が走る」という経験をしたことがないので、結構な声量で「えっ?」と叫んでしまい、交通整備をしていた翁に怪しがられ、距離を取られ凝視された。

 

「痛みを感じる」という感情は「今まで平穏だったものが突如として崩壊し、以前の安寧を取り戻すことは出来ない」という絶望を突き付けてくるようで私は苦手だ。しかし、「何としてでもこの痛みを負わせた張本人を突き止めたい」という怖いもの見たさに近い、ある種の好奇心が湧いてくるのも事実だ。

 

私は記憶を辿る。

 

歩道を歩いていた。自転車を避けた。植え込みへ近づいた。目の前を何かが高速で横切った。左手に痛みが走った。

 

私はすぐにピンと来た。これは虫だ。この痛みは虫の打撃だ。虫は人間と違って外骨格であるから表皮が硬い。そんな虫が人間の全力疾走にも匹敵する速度で飛翔したのだ。それは最早殺戮兵器と言っても過言ではないだろう。私は迷宮入りさせることなく、ディナーの前に謎解きが出来たという小さな高揚感に駆られた。その一方で、また新たな懸念が生じていることに気付いた。

 

それは、痛みが「打撃」というよりは「突き」、もしくは「刺し」に近いダメージであるという点である。

 

虫による犯行かつ「刺し」となれば答えは一つだ。蜂の可能性が高い。彼らの特徴である2色のボーダーは警告を意味する配色として人間社会では用いられている。言わば人類公認のヤバい虫なのだ。しかし幸か不幸か、視認できたのは「高速で飛翔する虫らしきもの」に過ぎず、それが蜂であるという証拠は全くない。もしかしたら全然グリーンのカナブンとかそういう系の虫の可能性だってある。というよりはそうであって欲しい。眼前に「猛毒」、「絶命」といった文字がチラつき始めた。それでも私の両足は歩行を続けた。

 

なんか手が痺れてきた。「毒があるタイプの虫だったら、手とかだんだん痺れてくるかもな」とか考えてたらバカのプラシーボ効果が発動し始めたようだ。小学校の時に読んだ本では、「蜂に刺された時には患部より心臓に近い部分を強く圧迫しろ」と書いていたのを思い出す。今、私のリュックサックには腕を縛るのにちょうど良いスポーツタオルが入っている。やるなら今だ。

 

心のどこかでは死ぬんじゃねぇかなと思いつつ、いや、死にゃせんだろという考えで歩き続ける。

 

だんだん「手が痺れる」という感覚はなくなっていった。すると今度は「遅効性の毒だったら1回ぬか喜びさせてきて、その後に仕留めに来る」という悪魔的な思考に乗っ取られてしまった。これから起こる未来が簡単に予測できた。

 

結局毒でもなんでもねえじゃん。ゲームしよ。トイレ行こ。バタッ

 

これは自分ながらになかなか可哀想に思える。

 

とりあえず手を洗いたい。応急処置になるかどうかも分からんけど、手洗いたい。なんか傷口から汚れとか入って、毒とマリアージュされたらもう終わりだし、そうでなくてもジャニーズの皆さんが手を洗え手を洗えと歌い踊っていたので、何かしらの効果はある気がした。

 

ちょうどコンビニがあったので立ち寄る。向かう先はもちろんトイレだ。厳密に言うと女性用トイレと男性(女性)用トイレのそれぞれ向かい合う扉の間に設置された空間へ、だ。手を入念に洗っているとなんだか心が安らぎ、自分自身がエル・カンターレであると自覚した。

 

様々な偉人の言葉を聞き、自身の体に宿しながら出口へ向かう。入店した時には気づかなかったが入口には消毒液が置かれていた。

 

めっちゃ使った。

衝動的死

自分の記憶を辿る。私の脳内は靄がかかったような状態で5歳の記憶を投影する。6歳、7歳と年を経るにつれ徐々に靄は消えてゆく。


思い出とは全くのデタラメであり、現在の脳が演出し、あたかも事実であったかのように過去を捏造しているに他ならないのだ、という誰かの言葉を思い出す。


私にはそれが小説の一節であったか、学術的な結論であったか、はたまた私の捏造であるのかを断定することが出来ないが、「腑に落ちる」という感情と共に記憶されていることだけは確かだ。


考えてみれば私の記憶のうち、靄がかかっているものは写真をトリガーに思い起こされた記憶に他ならない。園児の私が笑ったり、泣いたり、不貞腐れたりしている写真を視認し、「ああ、こんなこともあった気がする」という観点で写真の中の自分の感情を推測し納得することで得られる、明らかに捏造された思い出そのものである。写真という情報のみで作話をするため、当時の現像技術に脳内映像が依存しているのであろうか。次第に記憶の靄が薄くなってゆくのもこの原理なのかもしれない。


今の子供たちは私より数千倍鮮やかな思い出を捏造するのだろう。首を絞めて死ぬ。